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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)4248号 判決

原告 荻野富美男

被告 新理研映画株式会社

主文

一、被告株式会社は、原告に対し、一五万円、及びこれに対する、昭和三六年七月一六日から、支払ずみに至る迄、年六分の金員の支払をせよ。

二、訴訟費用は、被告株式会社の負担とする。

三、この判決は、仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決、及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因として

第一、一、被告株式会社は、昭和三五年一二月一三日、原告にあて、金額一五万円、満期昭和三六年一月一一日、支払地及び振出地、いずれも東京都中央区、支払場所株式会社三井銀行日本橋支店なる約束手形一通(以下係争約束手形という。)を、振出した。

二、仮りに係争約束手形が、被告株式会社の代表者自身によつて振出されず、永田史郎が作成したものであるとしても、

(一)  被告株式会社は、昭和三五年八月頃、事業運転資金に窮していた為、被告株式会社の経理課長永田史郎は、吉川秋正を通じて、原告に対し、三〇万円の借受方を、申込んだ。

そこで、原告は、同年八月二〇日、これを承諾し、被告株式会社に対し、三〇万円を、弁済期同年一一月一三日の定めで、貸与し、同人から、被告株式会社が振出した金額を三〇万円、満期を同年一一月一三日とする約束手形一通の交付をうけた。

(二)  被告株式会社は、同年一一月一三日、原告に対し、右貸金元金の内、一〇万円を支払い、原告は、永田史郎から、残元金二〇万円支払の為、被告株式会社が振出した、金額を二〇万円、満期を同年一二月一三日とする約束手形一通の交付をうけた。

(三)  被告株式会社は、同年一二月一三日、原告に対し、右貸金残元金二〇万円の内、五万円を支払い、原告は、永田史郎から、残元金一五万円支払の為、係争約束手形一通の交付をうけた。

三(一)、永田史郎は、被告株式会社の経理課長として、金銭の出納、手形小切手の受渡等の事項を管掌するものであり、被告株式会社名義の約束手形を振出す権限があつたから、被告株式会社は、永田史郎が振出した、係争約束手形金の支払義務がある。

(二)  仮りに、永田史郎に、被告株式会社名義の約束手形を振出す権限がなかつたとしても、同人は、被告株式会社の経理課長として、金銭の出納、手形小切手の受渡等の事項を管掌していたものであるから、同人は、被告株式会社の番頭、手代、又は右事項につき委任をうけた使用人である。従つて、被告株式会社は、商法第四三条第二項に基き、約束手形振出につき、同人に加えた制限を以て原告に対抗することを得ず、被告株式会社は、係争約束手形金の支払義務を免れることができない。

(三)  仮りに、右主張が容れられないとしても、永田史郎は、被告株式会社の経理課長として、資金計画、金銭の出納、手形小切手の受渡等、包括的な代理権を有していたものであり、かつ、原告に対し、被告株式会社の経理課長の肩書ある名刺を交付し、被告株式会社代表者のゴム印と印判が押捺された係争約束手形を交付したから、同人に、被告株式会社名義の約束手形を振出す権限がなかつたとしても、原告には、同人に、被告株式会社を代理して、係争約束手形を振出す権限があると信ずべき、正当の理由がある。従つて被告株式会社は、民法第一一〇条に基き、係争約束手形金の支払義務を免れることができない。

よつて原告は被告株式会社に対し右約束手形金一五万円、及びこれに対する、本件訴状副本が、被告株式会社に送達せられた日の翌日である、昭和三六年六月一七日から、支払ずみに至る迄、商法所定の年六分の遅延損害金の支払を求める。

第二、仮りに、約束手形金の請求が認められないとしても

(一)  原告は、昭和三五年八月二〇日頃、被告株式会社の代理人永田史郎に対し、三〇万円を、弁済期を、同年一一月一三日の定めで貸与した。

(二)  仮りに、永田史郎に被告株式会社を代理して、右金員を借受ける権限が無かつたとしても、被告株式会社は、前記第一、三(二)、(三)の理由により、右貸金支払義務を免れることができない。

よつて原告は、被告株式会社に対し、右貸金元金三〇万円から、その後弁済がなされた一五万円を差引いた残元金一五万円、及びこれに対する、右弁済期の後である昭和三六年六月一七日から、支払ずみに至る迄、商法所定の年六分の遅延損害金の支払を求める。

第三、仮りに以上の主張が認められないとしても、

(一)  被告株式会社は、永田史郎を、経理担当事務員として雇つていた。しかるに同人は、被告株式会社を代理して、金員を借受ける権限が無かつたに拘らず、昭和三五年八月二〇日頃、被告株式会社を代理する権限があると嘘を言つて、原告を欺し、被告株式会社振出名義の約束手形(金額三〇万円)を交付して、原告から、貸金名義で、三〇万円を騙取し、

同年一二月一三日、原告に対し係争約束手形を振出す権限が無いのに、あるように嘘を言つて、原告を欺し、前記金額三〇万円の約束手形の二度目の書替手形として、係争約束手形一通を交付した。

(二)  その結果、原告は、被告株式会社に対し、右貸金又は偽造の約束手形金の請求を為すことができず、永田史郎は、右金員を支払う能力がないから、原告は、結局右金員に相当する損害を蒙つた。

(三)  永田史郎の右金員借受、係争約束手形振出は、被告株式会社の事業の執行につき為されたものであるから、被告株式会社は民法第七一五条に基き、永田史郎が、原告に加えた損害一五万円を、原告に賠償すべき義務がある。

よつて、原告は、被告株式会社に対し、右損害金一五万円、及びこれに対する、右貸与の日又は、係争約束手形振出の日の後である、昭和三六年六月一七日から、支払ずみに至る迄、民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める。

被告株式会社の過失相殺の抗弁につき、その主張事実を否認する。と述べた。〈証拠省略〉

被告株式会社訴訟代理人は「一、原告の請求を棄却する。二、訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、原告主張の

第一、一の事実を否認する。

係争約束手形は、被告株式会社の使用人永田史郎が手形振出の権限がないのに、既に廃棄処分をした被告株式会社の代表者印を、捺して、これを作成し、原告に交付したものである。

二 (一)の事実を否認する。永田史郎は、被告株式会社の経理課長ではなく、給与の面に於て、経理課長待遇なる名称を用いて、他の社員と区別していたにすぎず、同人は、被告株式会社を代理して、他から金員を借受け、被告株式会社名義の約束手形を振出す権限は、なかつた。当時の経理課長は、三浦八郎であつた。

(二)(三)の事実を否認する。

三 (一)の事実を否認する。永田史郎には、被告株式会社の金銭の出納、手形小切手の受渡等の事項を管掌する権限がなかつた。

(二)の事実を否認する。従つて商法第四三条第二項を適用すべき余地はない。

(三)の事実を否認する。従つて民法第一一〇条を適用すべき余地はない。

第二、(一)の事実を否認する。

(二)の主張を争う。

第三、(一)の事実中、永田史郎が被告株式会社の被用者であり、被告株式会社名義の約束手形を振出し、被告株式会社を代理して金員を借受ける権限がなかつたことを認める。その他の事実は知らない。

(二)の事実を否認する。原告は、昭和三五年八月二〇日、永田史郎に三〇万円を交付するとき、右元金から、同年八月から、同年一一月迄の三カ月分、元金三〇万円に対する月六分の利息五四、〇〇〇円を控除し、同年一一月一三日、同年一一月から、同年一二月迄残元金二〇万円に対する月六分の利息一二、〇〇〇円を控除し、同年一二月一三日、同年一二月から昭和三六年一月迄、残元金一五万円に対する月六分の利息九、〇〇〇円、以上合計七五、〇〇〇円を控除して、自ら、これを取得した。従つて原告の蒙つた損害は七五、〇〇〇円にすぎない。

(三)の事実を否認する。永田史郎の為した所為は、被告株式会社の事業の執行につき為されたものではなく、同人が、自己に使用する為、原告から、その主張の金員を借受けたものである。

原告が、第三に於て主張する民法第七一五条に基いて為す、被告株式会社に対する損害賠償の請求は、従前の第一の約束手形金、第二の貸金の各請求とは、請求の基礎に変更があるから、許されない。仮りにそうでないとしても、第三の訴の変更を許すときは、著しく訴訟手続を遅滞せしめるから、民事訴訟法第二三二条第一項但書により、その変更は許されるべきでない。

抗弁として、仮りに被告株式会社に、不法行為上の損害賠償義務があるとしても、原告には、次のような過失がある。即ち、原告は、昭和三五年八月頃、永田史郎に三〇万円を貸与し、同人から約束手形の交付をうけるに際し、被告株式会社との取引は、それが最初であつたに拘らず、同人の身分、職務内容、代表取締役印の真否について、被告株式会社又は、支払銀行について、問合わせることをしなかつた。かような事は、普通金融又は手形取引につき、貸主又は手形受取人として為すべき調査義務を尽さなかつた点に於て、注意義務を尽さなかつた過失があるというべきであるから、原告の過失は、被告株式会社が、原告に対して支払うべき、損害賠償の額の決定につき斟酌せられなければならない。と述べた。〈証拠省略〉

理由

検証の目的としての甲第一号証の記載、証人永田史郎の証言(第一、二回)同人の証言(第一回)によつて、真正に成立したと認める甲第二号証の記載、証人杉沢寿雄、同門屋清虎、同鈴木富雄の各証言によれば、次の事実が認められる。

永田史郎は、昭和三〇年五月頃、被告株式会社に社員として採用され、昭和三四年四月四日経理課長川島輝夫が他に転じたので、同年七月頃経理課長待遇を命じられた。同年一〇月頃三浦八郎が経理課長に任ぜられたが、同人は、経理事務は帳簿関係を除いては、事実上担当せず、永田史郎が担当していた。杉沢寿雄が、昭和三四年五月三一日、総務部長をやめ、門屋清虎が、昭和三五年九月一日、総務部長となり、永田史郎の上席として、経理の職務を監督していた。永田史郎は、昭和三六年一月下旬、経理課長待遇の職務を解かれる迄被告株式会社名義の約束手形、小切手の作成のみならず、経理課長の職務を、事実上、担任していた。

しかし、被告株式会社名義の手形小切手を振出す権限を有する者は、原則として代表取締役中崎敏に限られていた。永田史郎は、その結果、かような手形、小切手を振出すことを除く、その他の経理事務一切を担当していた。

被告株式会社には、その商業帳簿に記載せられなかつた諸種の支出があり、被告株式会社ではそれを、正規の金融機関又は金融業者から、金融を受けて、決済することをせず、経理担当社員が、その調達をすることを、暗黙に承認していた。事実、杉沢寿雄らは、それを承知していた。永田史郎が、昭和三四年四月頃前経理課長川島輝夫から、経理事務を引継いだとき、被告株式会社には、正式の帳簿に記載せられない未処理の借受金債務が、一、〇〇〇万円位あつた。

又被告株式会社の帳簿外の債務を整理する為、永田史郎のみならず、総務部長杉沢寿雄経理課長川島輝夫は、正規な借入を為さず、市中金融業者から、帳簿外で借受け、それらを決済する為、被告株式会社の商業帳簿に記載すべき収入を、記載しないで、その収入を以て、支払つていた。

永田史郎は、昭和三四年八月二〇日頃、被告株式会社の運営資金を捻出する為、原告から、被告株式会社の為に、三〇万円を借受けた。その際、同人は、原告に対し、被告株式会社の経理課長という肩書を附した名刺を交付した。(同人がかような名刺を使用していたことを、被告株式会社の幹部が知つていたことについては、必ずしも確証がある訳ではないが、弁論の全趣旨により、推認できないではない。永田史郎は、右日時、右貸金を支払う為、約束手形用紙に、金額を三〇万円、満期を、同年一一月一三日、その他の手形要件を、係争約束手形のそれと同じにして記入し、被告株式会社のゴム製の記名印、四角の社印を押捺し、以前、被告株式会社の代表取締役の印判であつたが、昭和三二年頃、若干摩滅した為、廃印となり、被告株式会社から、取引銀行に対し改印届が出されたが、その後、総務部長がそれを保管し、時折、雑用に使用せられていた印判を、右代表者の記名の下に押捺して、原告に交付した。その約束手形は、永田史郎が、同年一一月一三日頃、原告に対し、貸金元金に一〇万円を支払つたので、振出日を同年同月同日、金額を二〇万円、満期を同年一二月一三日、その他の手形要件を、係争約束手形のそれと同じくする約束手形一通に書替えられ、その約束手形は、永田史郎が同年一二月一三日原告に対し、貸金残元金二〇万円に五万円を支払つたので、金額を一五万円、満期を昭和三六年一月一一日とする係争約束手形に書替えられた。その手形振出についても、当初の金額三〇万円の約束手形の振出と同じ印判が用いられたことが認められる。

以上の認定に反する部分の証人門屋清虎の証言、被告株式会社代表者本人尋問の結果は、当裁判所の採用しないところであり、他に右認定を左右するに足りる証拠資料はない。

そうすると永田史郎は、被告株式会社の経理を担当する社員で、被告株式会社から経理課長待遇という処遇をうけ、被告株式会社名義の手形、小切手を振出すことを除く、その他の経理事務一切を委任されていたと謂うことができるから、同人は、それらの事項については、被告株式会社を代理して行動し得る権限を有していたと認めるべきであつて、被告株式会社の単なる機械的事務を管掌していたにすぎない使用人ということはできない。これを要するに、同人は、商法第四三条第一項にいわゆる手代、少くとも、特定の事項の委任をうけた使用人と謂うべきである。従つて、同人は、被告株式会社名義の約束手形を振出す権限は、授与されていなかつたけれども、被告株式会社が経理課長待遇という処遇を与えながら、その手形、小切手振出の権限を与えないという同人の代理権に加えた制限は、商法第四三条第二項、第三八条第三項に基き、善意の第三者に対抗できないと謂わなければならない。

しかるに、永田史郎は、被告株式会社の経理課長待遇ではあるが、被告株式会社名義の約束手形を振出す権限は無いこと、本件に於て、同人が係争約束手形を振出す権限がなかつたことを、原告が知つていた事実は、これを確認するに足りる何らの証拠資料がない。

してみれば、被告株式会社は、原告に対し、永田史郎の手形振出権限の欠缺を主張することができず、係争約束手形金の支払義務を免れることはできないのであつて、原告が被告株式会社に対し、その約束手形金一五万円、及びこれに対する、本件訴状副本が被告株式会社に送達せられた日の翌日であること、記録上明かな昭和三六年七月一六日から、支払ずみに至る迄、商法所定の年六分の遅延損害金の支払を求める本訴請求(第一次)は、正当であるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して、主文の通り、判決する。

(裁判官 鉅鹿義明)

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